| ■夜の真昼 2001.12 |
冬、月は高く天頂近くまで登るよね。 空気も冴えて蒼白い雲のフチがちょっとだけ虹色になって、月的にはハイシーズン。
金沢にいた子供の頃、試験勉強をしている机の上に月の光が差してくると「これはとても勉強しているべきでは無い…な。」って(笑)、明かりを全部消してその中に入っていった。
車を運転する様になると、冬の夜中には、よく山の中へ出かけていった。棚田を見下 ろすカーブの真ん中の小さなくぼみに車を止めて、月が濃い白い光を充満させている中へ、ちょっとだけ身を乗り出し行くのは最高に穏やかな幸せな気分だった。冬の真夜中だけど、月的には真夏の真昼。
すこし遠くで流れる微かな水音を聴きながら、その夏の真昼の中で誰かとピクニック している自分を想像して一人幸せな気持ちだった。 別にホントに誰かといつかそういうコトがしたい、と強く思っていたワケではなく‘deorbit’で‘空に居たい’と思ったカンジとほぼ同じ‘ただそう思うだけで幸せな、実現してもしなくてもいい想い’
そういう空想の出来る空間、時間(瞬間でもいい)に身を置いた記憶の積み重ねで、自分の中に何か、得体の知れない優美で甘くてちょっとだけ高揚感のある衝動パターン(例えば美味しいと嬉しい、そういう反射的な気持ちの動き、の様なもの)が本人の知らないウチにどんどん組上がっていく。
そういう衝動の心地よい不意打ちに会うたび、ちょっとだけアタマの中に違う時空が 開いてなんとも気持ちいい。(夢の中に出てくる風景にも似た世界)音楽はそういう言葉にならない気持ちを表現するコトが出来る。
ワケもわからず涙が止まらなかったり、晩春の夢の様だったり、音楽は一瞬にして心を掴むコトが出来る、素敵な仕事。 Hirotoh♪(2002年元旦の初月の出は天気がちょっと心配) |
| ■ディオービット 2001.12 |
よく空に行きたい(居たいというのがもっと正確か…)、と思う。雨の上がった夜明け前の蒼い空と薄い蒼い雲をずっと見続けながら、軌道上から眺める自分を空想したりする。
9月のある日、はっきり覚えているけどウチの屋上から雲間から白く明るい光が差している光景を見ていて「あの光のなかほどに居るとどんなに気持ちがいいだろう…どんなにスッキリするだろう…」って思っていた時に「あぁ、こんなカンジの音楽」を、自分が作る‘こんなカンジの音楽’を無性に聴きたくなってこのアルバムは出来ました。
実際はその直前にやっていた仕事(ワールドPCエキスポのNECブース)で作ったフレーズを元に大幅にリメイクしたモノなんだけど。高速ドライブには特にうってつけの例えば、薄暮に果てしなく浮かぶナトリウム灯がつくる情景の様なクールで暖かいアルバム。
軌道を回りながらだんだん加速していってついに軌道を逸れて(ディオービット)外に飛び出していくカンジ。 すこしづつ変化しながら繰り返すちょっとテクノな懐かしいフレーズ。
聴いている気持ちが心の奥が、前とはちょっと違うどこか、美しいスッキリしたトコロへ行けるように。 Hirotoh♪(アユーラが春〜夏の黄色い太陽のイメージならディオービットは秋〜冬の白い光。裏アユーラ)
|
| ■丘を越えて 2001.10
|
去年のちょうど今頃、大手通信電話会社が地方に新しくオープンするショールームビルの仕事によばれた。
フロア全体に広がる大きく分けて三つの映像装置、それぞれにディレクター、アーティストが工夫をこらし、なかなか面白そう&かなり大変そう。最初はそのウチの一つにごくごく短いフレーズを何パターンか作る、という仕事だった。かなり横長のスクリーンに投影されている映像がセンサーによって様々に変化する、静かだけど美しいアトラクション。
映像の変わり目の5秒間にそれぞれのパターンに応じていろんなフレーズを流す。その一方では、携帯で(ネット経由でね)目の前の映像をコントロールしてゲームをするなど2000年の末としては結構大変、というか初めての試みなどもあり、どんどん泊まり込みの人達が増えていった(笑)。
最初の仕事のウケがよくて、ナンダカンダで全部の映像ソフトになんらかの音をつけるコトになっていたんだけど、そういう事情もありかなりのコーナーが「とりあえず音先行でお願いします」というコトになり、僕にはA4に箇条書きでほぼイッパイの様々な音の小石を作るオーダーが。床にとりあえずその段階で揃っている資料をひろげて眺めて無いのは想像して、一つ作るとまた先の一つが見える、そういうストックが貯まるとそれによってまたその先のコーナーのカンジがまた見えてくる、というふうに作ってイク。
最初は「森に放り込まれた様なものだな」って思ってたけど、しばらくして「これから越える丘の向こうの景色を、例えば小川に丸木橋がかかっているのか、深い谷に吊り橋が架かっているのか、池があるのか海があるのか、はたまたもっと広大な森が広がっているのか遙かな山が見えてくるのか…)ドンドン自分が決定しているんだな」と、気が付いて(ビジュアルとしても鮮明に浮かんだ)とってもワクワクしてきた。
昔、ベタなハリウッド映画で超能力を悪用していた少年が家庭教師に諭されて改心して?自分達の行く手をどんどん花畑に変えていく(そんなエンディングだった様な…)のがあった。SFXをファンタジーにとても上手に使うコトで有名な監督の作品なんだけど、そのビジュアルというかその少年の気持ちに近い。軽い高揚感、幸福感。
音楽を作るのは自分にとっては、まだ見えてこない、これから越えて行く丘の向こうの景色をどんどん作り出していく様なもの。どんな風景が待っているかは全て自分次第。たまに全然予想しなかった風景になったりして、そういうのもまた格別だな〜。
Hirotoh♪ |
| ■バルケッタ 2001.9
|
まだ小さい頃、父方の里に行くとよく船に乗せてもらった。そこは能登半島のケッコウ先端に近い静かな入り江にあって、縁側のほんの10メートル位先はもう海。多分手作りの、少し水平の傾いたコンクリート製船着き場があって、そこに繋いであった櫓漕ぎの船に乗せてもらうのが子供の頃のお墓参りのハイライトだった。
手漕ぎなので木の擦れる音しかしない船(親戚の叔父さんの、間延びしたジョーク?などを聴きながらね)に揺られてゆっくり湾の外まで行って、竿もないただの釣り糸にさっき岩の陰でとった沙蚕をつけて、キスとかベラを釣って帰ってくるという、コンパクトな海釣り。
湾の外の方の、うねりながら青く光る昼間の海も好きだったけど、水深10〜20メートル位?のまだまだ底が完全に透き通って見える位の海を、湖の様に穏やかな水面を、ゆっくり滑る様に進んでいる時は本当に気持ちよかった。(カヌーの快感とも似ているかもね)羊雲の中に月が見え隠れする静かな夜中、ユックリユックリ自転車を漕いでいると、
その時の記憶や、オリヴェイラ監督のアブラハム渓谷(知ってる?僕は世界で一番好きな映画)に出てくる湖のコトやその他ワケのわからない想像が混ざって、バルケッタ(小舟)乗って浅い湖面を進んでいる(浮かんでいる)様なゴクゴク軽い錯覚に陥る。(バルケッタってイタリア語だけど、いい響きだよね。波間にたゆたう小舟の雰囲気にピッタリ)
自転車を漕ぎながら、そういう感覚(優しい過去の記憶と甘い未来の想像、さらには 起こり得ないけどリアルな空想が入り交じって生じるある種の快感)と現実の秋の穏やかな夜の狭間を漂うのはホントに気持ちイイよ。
Hirotoh♪ |
| ■トリニティー(あるいは金縛りジェット・コースター) 2001.8 |
残暑見舞いというワケでもないけど、金縛りの話。 その時僕は多摩美の一年で、最初に住んでた木造のアパートで、自分で特注した色を塗って組み立てたベッドで悦に入ってのんびり昼寝をしていた。で、ちょっと目が覚めてみると左耳のすぐそばでしわがれた低い声が何か囁いている、
怖い?といえば怖いんだけど、まあ、昼間だしそれに眠たいし(笑)…そうしたら右耳のそばでも今度は女の人の声、 とくに何か言葉を囁いているワケでは無く、声のパフォーマンスの様なカンジ。
その うち、二つの声が両耳からすごい勢いで体に入ってきたかと思うと首からみぞおちへ向けて降りていってそこでボーイソプラノの様な声の光る玉?になって消えてしまった。(のか中に入っちゃったのか)なんか「三位一体」ってカンジ。
鳩尾へ降りていく時のくすぐったい?カンジや丸く光ったカンジは今でも何となく覚えている。その時から急に歌が上手くなったとか、名曲がバンバン書ける様になったとか、そういうコトがあればなんだか神がかりっぽいんだけど、特に何も変化は無し(笑)。
金縛りってイコール‘怖いモノ’って捕らえられがちだけど(僕も友達のウチで周りを子供が走り回ってた、とかいうのはあるけど)いろんなコトがある。ある時は黒人が鍵をこじ開けて入って来て、僕を抱き起こして「兄弟!お前に会いたかったぜ」とか(よく分からないんだけど)言ってきかない(笑)コトもあった。
そのウチその状況に陥った時にある程度コントロール出来るコトに気が付いた。まあ 浅い眠りの中で続きを考えながら夢を断続的に見ている状態にも近いモノね。
で、僕がやってみたのは「ベッドがジェットコースターになっていて寝ながら滑り落ちていく」ってヤツ。銀河鉄道みたいなレールが空にずっと延びていてそこを僕がベッドごと!すっごい勢いでギュンギュン!走っている。イメージ!
結果は大、大成功!でほんとに強烈なGを感じながら空をビュンビュン走り回った。ベッドに寝ながらにして(笑)ホントに楽しかったな。 Hirotoh♪ |
| ■コロラド 2001.7 |
仕事移動で都内の渋滞の中にいるウチに(今の車にしてからエンジンの振動が心地よく(笑)はあんまり渋滞が嫌いでは無くなったな〜。
そうでなくても夕暮れの表参道をのんびり移動しいくのは気持ちイイ)コロラドに浮かんでいる様な月が出てきたので、それからはずっとナット・キング・コールを聴きながら、たまに大声で一緒に歌いながらすっかりゴキゲン。
う〜んホントに夏の名月。 別にコロラドに行ったコトもないのにただなんとなく、その月をみた途端、何故だかそういう気になった。ビルの向こうに渓谷が広がっているかの様な、自分の居る場所
がどうも日本では無いな〜という強い錯覚。 で、いろいろ思い出して考えて納得がいったのが、去年の夏に自分の故郷である金沢 の犀川の川岸を夜明けの頃歩いていて「あっ、これって永遠の空間みたいだ〜」って
感じたコト。 その時はどうしてそう感じるのかヨク分からなかった(今回のアユーラCDの10曲目もその時の感動が元になっているので、コピーライターの人に一生懸命その時の話しをしてみたんだけど、どうも上手くいかなくてちょっともどかしかった)んだけど、その感覚は今回、行ったコトのないコロラドの様に思えたコトがもっと漠然と広範囲
に、たとえばギリシャ時代のパルテノンと何処かで読んだSF小説の中の朝の空気、それと今が一緒になって、時間や場所の知覚が気持ち良く、とても気持ちよく喪失して
いく錯覚に捕らわれたコトが原因だったのだと思う。 リアルではとうていあるハズの無い時間や空間が現実を越えてリアルに思える瞬間。 誤解を覚悟で言うなら小林秀雄の‘無常という事’の中で彼が捕らわれた感覚に近い、のかな。こんなカンジってどう?わかる?
Hirotoh♪ |
| ■ボサノバ 2001.7 |
最近すっかり気に入って通っているその美容室は、代官山のとあるマンションの一室で美容師さんが一人でやっているちょっと変わったお店。当然完全予約制なので、髪
を切っている間は、彼が個々のお客さんに合わせた音楽をその都度セレクトしてかけてくれる。 7月だというのに狂った様な「ここは金星か?」っていう位の暑さだった日々が一段落したその日は、ボサノバのスタンダードナンバーのカヴァーが流れていた。最初暫くここ一ヶ月のよもやま話しをして(常に一ヶ月ぶりだものね)ちょっと途切れた時にすかさず彼が「さて問題です。このアルバムは誰のアルバムでしょう?」って言う。
「ほとんど音楽聴かないし…人の名前を覚えるのも苦手だし…」って言っても「絶対知ってマスって〜」って言って引かない。 音のスゴクいい、大人のピアノ、ボサノバ定番?のちょっとハスキーなボーカル。そのうち出来上がってきた髪型をみて「あ〜、全盛期の彼の髪型にそっくりになって
きた〜大ヒント!」って言うから0,06の目で鏡を見てみるとボンヤリとそこには…「えっ、坂本さんですか?」っていうとアタリだった(笑)。 というワケで今はちょっとだけテクノカット(笑)。しかもYMOファミリーのカットを初期の頃から担当していてユキヒロさんは今でも常連、といういわば本家本元の彼に切ってもらうとは…。ってちょっとだけ感激。
音楽機材がドンドン進化して聴いたコトのない音がドンドン巷に溢れていった不思議な時代のコトをちょっと思い出した。何百万円もする機材からは確かに何百万円もする音が出てくる、様に思えた時代。今ではサンプリングでヒョイっと済ませられる音に異常な重みが合った時代。あれはあれで音楽に対するある種の畏敬の念を簡単に抱くコトができたイイ時代だったなあ。
Hirotoh♪ |
| ■アユーラ 2001.6
|
ここにもチラット書いたけど、去年やった仕事をアユーラの方が多分気に入って頂いていたコトと、アートディレクターの方の尽力もあり「アユーラのブランドイメージを表現する音楽を作って下さい。発売は夏です」4月の終わり頃、表参道のオフィスでマーケティングプランナーの方からこう言われ、そういうコトになった(笑)。
いつもはなんらかの映像に音楽を付けているんだけど、今度は‘ブランド’全体に付ける仕事。 ただ全体像がちょっとでかいので、把握するのに少し時間が多くかかる。アートディレクターの方に作って貰ったイメージのコラージュボードを床に広げるコ
トからまず始めた。こういう仕事の時はいつもそうするんだけど、なんとなく視野に入る位の場所に、その仕事のためのイメージ資料を置いておくコトが第一歩。 そうしておいて一日の終わりにちょっとだけ楽器に向かって(2〜3時間)お仕事。
よく「シンセサイザーに向かってウンウンうなって作曲している」様にイメージされがちだけど(多分ね)自分の場合は‘楽器に向かっている時はリリーフエースが登板している時’(ここ強調)みたいなカンジなのでそこで何かを悩んだり、考えたりす
るコトはあまり無い。漠然としたイメージだけ思い浮かべて次々フレーズを弾いてみる。(時には意識的には何も考えないで)指まかせで。そしてバンバン打ち込んでいく。
今回やった中で特に面白かったのは小冊子の表紙の‘AYUAR’のタイポグラフを見ながら‘その文字のカタチのイメージ’としっくりくるまでいろんなフレーズを弾いてみる。ってヤツ。弾きながらドンドン小冊子の文字のイメージが膨らんでいく様子
(目の前の小冊子がドンドン引き立って見えてくるカンジ)はけっこう気持ちイイ。そういう時は自分の脳がキーボードや音源の中にまで拡張していく様なカンジ、有機 的に繋がっているカンジがする。まあ道具を使う仕事をしている人にはそいう瞬間って結構あるのでは。
そんなこんなで(途中省略)出来たアルバム、かなりいいよ。まあ聴いてみて。 Hirotoh♪ |
| ■夢の横笛 2001.5
|
どこでどうなったのかその時、僕はかなり古い黒塗りの車で、お城のお堀沿いの道を走っていたんだけど、あっ、季節は初夏で時刻は夜の初め、お城といっても天守閣とかは無くって、まあ城跡といった方が正しいカンジの。鬱蒼と茂った木々が覆い被さるお堀に、点在する水銀灯の灯りが頼り無さげに反射して、ちょうど凪ですっかり静
まりかえった森の中に、遅い春ゼミがどこかで一匹だけ、おかしくなったブザーの様な音を鳴らしている、そんなシチュエーション。 暫く行くと遠くに微かに松明の明かりが見える、「薪能でもやっているんだろうか」って思ったんだけど、どうやら何かの奉納で横笛の名手の若者(多分)が一人で延々笛を吹いているらしい。珍しいのでちょっと聴き入っていると、日本音階を使いながらも、抑揚や音色を恐ろしい位自由に巧みに操って、僅かに上下させる音の中に深い深い情感を表現している(様に感じた)
お堀と森を隔てて聴こえてくるのに、すぐ眼前に演奏者がいるみたいに情感がダイレクトに伝わってくる。「和楽器ってこんなに表現力があるんだな〜」って静かな透明な美しいメロディーにすっかり感動してしまい、次の角を曲がるといきなり砂浜で「あっ、これって夢じゃん!」って目が覚めた(笑)で、ボヤボヤしているウチにメロディーもすっかり忘れてしまった(笑)。
とりあえず自分の中のどこかにはアル、というコトは解っているので、いつか思い出すか、まあ多分一生思い出さないんだろうけど(笑)、あの時の感動はとってもリアルに心の中に残っていて時間が経つに従ってだんだん現実に起こった事の記憶との区別
が曖昧になってイク(というコトは逆に現実感?アップ)カンジが好きだ。人生って、まず現実を精一杯楽しく生きるコトと、そういう記憶の蓄積がひたすら増 えていくコトで豊かになると思っているので(イヤなコトはたとえ忘れられなくても二度と思い出さない様にして…)夢は、素敵な夢はとっても大切な人生の一部だね。
Hirotoh♪ |
| ■坊主 2000.3 |
アユーラというブランドのために何曲か作るコトになったはいいモノの先方からのとりあえずのコンセプトがイマイチバラバラでウ〜ン… でも、日にちもあまり無いのでとりあえず簡単な資料を基にテキトーにイメージしてたたき台を何曲か作っていた。
で、アートディレクターとの初顔合わせとの前日、夕方起きてみると(笑)ファックスが来ている。超多忙な彼から送られてきたそれには、私が資料用に渡してあった2枚のCD(ダイジェスト集とピアノ曲集)の中から今回依頼するモノと方向性が似ている曲のチャートが走り書きしてあった。右横に○で囲って‘花が咲くプロセス’そのまた右上には‘坊主が山岩、草原を歩く’反対側にはイエロー→ブラウンで真ん中に強い速い筆跡で
‘ORIENTAL’と ◎の中に私の曲達はその○をかすめる様に並んでいたり、ちょっと離れたトコロにあったりしていたのだけれど、それよりもなによりもその4,5日間眺めていたアユーラの小冊子の植物の色とカタチと‘坊主が…’のフレーズで
「ああ、そういうコトか!」(電球)夜の10時位から30分一曲、それから風呂に一時間入ってケーブルで‘ディスカバリー・チャンネル’を見たりして休んで2時位からまた一曲頭の中には坊主が野山を歩いている映像(坊主の目に見える映像もね)と今回最初にもらった‘深い ナゾ 複合体’というアユーラのテーマ?を象徴するキーワード、あとイメージカラーの山吹色が丁度いい具合に混ざってこういう時は仕事がホントに楽しい。
自分の中の漠然としたイメージがドンドン具体的な曲になっていくのはいつもワクワクする。次の日持っていくとスゴク気に入ってもらえて ほぼそのままOKになった。話していて密かに驚いたのは10歳以上も年輩の彼と
私がイメージしていた坊主がどうやらかなり重なっていたコト。どんな坊主かって?内緒(笑) そんなコトよりも、なぜ坊主?って思うよね。フツーは。 Hirotoh♪
|
| |